SUPER EIGHT(旧関ジャニ∞)のメンバーカラーは?
SUPER EIGHTのメンバーカラーは、以下のとおりです。
横山裕:黒
村上信五:紫
丸山隆平:オレンジ
安田章大:青
大倉忠義:緑
メンバーの横山が中心になってメンバーカラーを決定しました。
メンバーカラーは衣装やライブグッズにも反映されているので、あらためてチェックしてみてください。
SUPER EIGHT(旧関ジャニ∞)メンバーの歩みと歴史
SUPER EIGHT(当時は関ジャニ∞)のデビューは2004年ですが、それまでに多くの困難や壁を乗り越えてきました。
ここからは、SUPER EIGHTと関ジャニ∞の歴史・デビューまでの道のりからメンバー脱退、そして現在までを詳しく紹介します。
関ジャニ∞の由来
関ジャニ∞の「関ジャニ」は、関西出身のジャニーズメンバーで結成されたことに由来します。そして「∞(エイト)」は、もともと関西テレビの8チャンネルでレギュラー番組を持っていたことにちなんでいます。
当時のジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川は、メンバーに対して「YOUたち、関西テレビでレギュラー持ってるから関ジャニ8(エイト)だよ」と話していました。
当初は数字の「8」を使って「関ジャニ8」と表記していましたが、その後、無限大の記号「∞」に変更されました。
また、「∞」には、メンバーそれぞれの個性や才能が無限に広がっていくようにという願いも込められており、今ではグループの象徴として定着しています。
2002年12月18日結成
関西ジャニーズJr.内のユニット「関ジャニ8」として活動を開始しました。
メンバーは横山裕、村上信五、渋谷すばる、丸山隆平、安田章大、錦戸亮、大倉忠義、内博貴の8人です。
2004年9月22日デビュー
2004年8月25日シングル『浪花いろは節』を関西限定でリリースして関西地区でデビュー、その後9月22日には“関ジャニ∞”と∞(無限大)表記に変えた同曲で全国メジャーデビューを果たしました。
デビュー時のグループ名『関ジャニ8』を∞に変えたのは、「無限大の可能性」という意味が込められたためで、2004年9月22日を全国デビュー日に定め、以降デビュー日に合わせた記念日としてファンにも定着しました。
この日はメンバーの渋谷すばるの誕生日でもあり、その重なりから特別な一日として語られています。
2005年〜2006年 7人体制に
2005年7月、当時18歳で未成年だった内博貴が宮城県・仙台市街で飲酒をし、泥酔した状態で宿泊先のホテルに1人で帰る際に、勾当台公園でトラブルとなり、仙台中央警察署員に補導され、この不祥事が報道されたことで芸能活動を無期限休止することになりました。
その後、2006年12月に内博貴は関ジャニ∞を脱退しました。
そのため、横山裕、渋谷すばる、村上信五、丸山隆平、安田章大、錦戸亮、大倉忠義の7人で活動することになりました。
2018年 6人体制に
2018年4月15日、渋谷すばるがグループから脱退し事務所を退所することを発表。
安田章大を除いたメンバー6人で記者会見をおこない、脱退の経緯を説明。「音楽活動を追求するために海外を拠点に生活していきたい」という渋谷本人の強い意志による決断であり、メンバー全員が渋谷の選択を尊重したことが語られました。
2018年7月15日をもって、関ジャニ∞は6人体制へと移行し、2018年に開催された5大ドームツアー『関ジャニ’s エイターテインメント GR8EST』は6人でのコンサートとなりました。
2019年 5人体制に
2019年9月5日、錦戸亮が同年9月30日をもって関ジャニ∞から脱退し、ジャニーズ事務所を退所することが発表されました。
この知らせは、グループ公式サイトで直筆メッセージとともに伝えられ、ファンに大きな衝撃を与えました。
グループ活動と個人活動との両立に悩み続けた末、「関ジャニ∞としての活動に対する自分の気持ちとのギャップを埋められなかった」と説明。
長年ともに歩んできた仲間たちとも何度も話し合いを重ねた上で、脱退という道を選びました。
これにより、関ジャニ∞は横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大そして大倉忠義の5人体制へと移行。
グループとしての方向性を改めて見つめ直し、新たなスタートを切ることとなりました。
2024年グループ名変更しSUPER EIGHTに
2024年2月、関ジャニ∞は新たなアーティスト名「SUPER EIGHT(スーパーエイト)」へと改名しました。
この改名は、ジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川の性加害問題を受けて、事務所の再編とともに「ジャニーズ」の名称を冠したグループ名や社名の変更方針が打ち出されたことに伴うものです。
グループ名の由来でもある「∞(エイト)」というアイデンティティはそのままに、「SUPER=超える・進化する」という意味を込めて、さらなる飛躍を目指すという決意が込められています。
この改名について横山裕は「僕ら20周年で、ここからという気持ちで頑張っていきたいです。心機一転」と述べており、過去の歴史を背負いながら新たなステージを切り拓く覚悟が感じられました 。